「ミッション;神戸」第4回・村上豪英さん(神戸モトマチ大学)レポート
【第4回ゲスト】 村上豪英さん
大手工務店の社長職をつとめながら、
神戸で輝く人をつなぐ学びのコミュニティ「神戸モトマチ大学」を
立ち上げ、たくさんの仲間とともに運営。
日本青年会議所の議長、神戸青年会議所の理事長職も歴任。
間違いなく明日の神戸を中心となって支える村上豪英さんに、
「ひとの力の預かり方」を、伺います!
レンジャーになりたかった
湯川: 大手工務店の三代目社長であり、これまで日本JCの要職、神戸JCの代表と「お堅い」仕事をされてきた村上さん。さぞかし大学ではみっちりと経営学などを学んでこられた……と思いきや、大学院で生態学を専攻されているのですね。
村上: 正確には、生態学を学びたかったのではなく、自然保護をしたかったんですね。高校時代は、カナダに渡ってレンジャー(自然保護官)になれたらいいな、なんて考えていました。それで、日本でいちばんしっかり基礎科学をできる京都大学に行ったんです。
最近「エコロジー」という言葉は一般的に使わていますが、学問的な定義では「生態学」のことです。植物と動物、あるいは動物同士、いろんな相互作用を研究するんですね。ひとつ種類だけを突き詰めるのではなくて、何かと何かの関係を見ていきます。
湯川: あの、「自然保護」も「エコロジー」も、いまの時代は当然のように語られるのですが、そもそもどうして「自然保護」をしなくちゃいけないのでしょうか? 「北極のシロクマが死んでも人間には関係ないし」って言うことも、できますよね。
村上: えっ(絶句)。当たり前じゃないですか。
英語では生き物のことを「creature」(クリーチャー)と言います。「創造物」という意味。人間に、神様がつくったものを根絶やしにするような権利は、もちろんないですね。人を殺しちゃいけないのと同じで、自然保護も当たり前のこと。理屈はないです。
「日本人は自然が好き」?
村上: フライフィッシングをしているとよくわかるんですが、たとえば「この川ではこの時期は、30cm以下の魚はぜんぶリリース、釣り方はこう、魚が死なないように針は返しがないものだけ、2匹のみ」などのレギュレーションがすべて決まっていて、かつ、シーズンが終わるたびに川の魚の増減をチェック……ということを、世界的に、何十年も前からやっています。
でも、日本ではしない。たとえば「いかなご」なんて稚魚なのに、大量に獲りますよね。もともと地元で伝統的に楽しむ分には、きっとよかったのでしょう。でも、現在のようにこんなに広域で「神戸名物」と言って広告宣伝していたら、全体として魚が減っていっても、別に不思議はないなあと思います。
日本人はよく「自然が好き」なんて言いますが、大嘘にもほどがありますよね。日本の漁業や林業、何を見ても、自然保護の考え方があまりにも弱い。なので、大学まではそういうことをする仕事に就きたいと思っていました。
これまでなにもしなかったな
湯川: 大学院を出られたあと、まずは民間のシンクタンクに進まれ、その後、家業の工務店に入られます。「自然保護」から、だいぶ遠くに行かれたような……。
村上: 大学院に進む直前に、阪神淡路大震災がありました。それで、自然への関心にまちへの関心が加わったんですね。まずは、自治体の政策決定にかかわれれば、世の中を変えられるんじゃないかと思いました。でも、すぐにその限界を感じました。
家業は建設業ですが、自然を破壊するものだと感じて、それまで親しみを感じにくかったんです。でも震災があって、建設業があるからこそまちは輝くし、それに自然を破壊する力をもつ場所にいればこそ自然を守ることもできるのではないかと思って、この世界に入ることにしました。
湯川:そして、2011年6月に、「神戸モトマチ大学」という、学びから人の輪を生みだすプロジェクトを始められています。
村上: これは、東日本大震災がきっかけです。すごい無力感を感じたんですね。そういえば阪神淡路大震災のとき、自分はこのまちのために貢献するんだと心に誓ったはずなのに、これまで20年近くなにもしなかったなということを、すごく痛切に感じた。それで、モトマチ大学を始めました。
友達っていったいどこでできるのか
村上: 参考にしたのは、ストックホルムのまちです。神戸と同じように、人口が約150万人。誰と喋っても、「ああ、王様は、ぼくは直接知らないけど、あいつがともだちだよ」とか、「総理大臣はあいつがよく知ってる」「あのサッカー選手なら毎週飲んでるよ」という話が出てくる。同じ150万人のまちなのに、この友達感覚ってなんだ、と。
神戸にはそれがなかった。あくまで僕の感覚ですが、神戸には輝いているひとがいっぱいいるのに、それぞれがバラバラなところで、小さなコミュニティをつくっている。このままでは、神戸のまちは絶対に輝くことができないと思ったんですね。その核のひとたちを呼ぶと、つながるんじゃないかと思いました。
そして、友達っていったいどこでできるのかと考えました。そういえば、学生時代は、勉強するなかで友達ができた。それなら「まちの大学」のふりをすると友達ができるんじゃないか。「学び」の場では、先生にたいして、心が開いています。そこに、お互いに開いてつながるチャンスがあるのではないかと思いました。
プレイヤーは少ない
湯川: 実際に私も、モトマチ大学の参加者として知ったウチダケイスケさんと「ミドリ部」を始めたり、出演者として知り合った柚月恵さんと「女性性を考えるゼミ」を始めたりと、この学びの場のおかげで、いくつかの動きをリアルに始めています。
村上: それはうれしいですね。
モトマチ大学は「遠くからつなぐ」と「強いつながりをつくる」を大事にしています。でも、理想よりまだ遠いので、場をいかにつくるか、そして場をつくったあといかになにもしないかを、勉強中です。そんななかで、ぼくが知らない、参加者同士のつながりがいっぱいできているというのは、とてもうれしいです。
今度、神戸モトマチ大学のような学びの場をつくっているひとたちを集めた全国大会「コミュニティ・カレッジ・バックステージ(CCB)」を、神戸で開催します。モトマチ大学を始めた瞬間からこういうのあればいいなと思っていたけど、ぜんぜん芽生えてこないので、自分でやることにしたんです。それで声をかけたら、みんな「そういうのがあったらいいと思っていた」という。
村上: 実はそういう話って、どんなフィールドにもすごくあるんだと思うんですよね。そして、傍観者とまでは言わないけれど、「なんかあったら手伝うよ」と言われる方、善意をもった、あたたかく見守っている方はいっぱいいる。それはほんとうにありがたいんですけども、プレイヤーは少ない。「俺がやる」って、まず立つひとはすごく少ないですよね。
誰よりも熱くないと
湯川:「プレイヤー」としての村上さんは、工務店で従業員約60名、モトマチ大学でスタッフ約30名という組織を動かしていらっしゃいますね。組織論として留意していらっしゃることなど、ございますか?
村上: そうですね……結果として、預からせていただいているかたちになっていますけど、ひとの力ははじめの段階からあてにしてスタートしたりはしないですね。
自分がやらなくちゃいけないと思っていることについて、誰よりも熱くないといかんと思っているし、実際に誰よりも熱中している。そうしていたら、手伝ってくれるひとがいるし、もちろんそれはとってもありがたい、という順番です。
僕には「素敵なまちを、みんなでつくりたい」というビジョンがあります。そこに早く行きたいと、とにかくいつも思っている。
でも、村上工務店は祖父の代から続いています。その組織を、自分がこういうふうに熱いからといって、いますぐそうなってくれというのは、よくないですし、実際に不可能。その方々が、いままでやってこられたやりかた、大事にしてきたものというのは、すごく大切なことです。
なので、自分はものすごく熱くやっているけど、焦らない。時間がかかることというのは、やはりありますよね。
みんな手伝ってくれますよ
村上: あと、なにか始めるときは、自分がやりたいかどうかだけではなくて、それが社会的に必要かどうかということは、もちろん考えます。でも実は、なによりも考えるのは、この神戸、この世界のなかで、自分がそれをするのに適切かどうかっていうことですね。
具体的に、他の人の方がうまくやれると思ったら、僕はやりません。でも始めてしまったら、自分がやりたくて始めたことだから、泣こうがわめこうがが徹夜しようが、ひとりでもやりますね。……なんて格好つけて言ってますが、やろうとしていたら、みんな手伝ってくれますよ。みんな。
湯川:それは、リベルタ学舎をしていても、本当に思います。きっと誰かが手伝ってくれますよね。
神戸のスタート地点
湯川: それでは最後に、村上さんのおすすめの神戸を、お教えいただけますか?
村上: そうですね……。あえて言うなら、東遊園地の、6434人の方の名前が書いてある、地下の慰霊碑、かな。「六千人」というと、数に見えちゃうんですけど、慰霊碑の名前を見るとね。ひとりひとりに人生が、もちろんですけどあって、みんな生きたかったんだろうなと思うし。あれを見ると、俺はこんなペースでなにやってんだ、と、いつも思う。
「亡くなった方々のぶんも」、って歌で言うじゃないですか(※「しあわせ運べるように」)。あれは、僕には本当にすごく重たくて。……そう思ってたはずなのに、十数年間なにもしてなかったことを、東日本大震災の後に発見したんですけどね。
村上: ちなみに、ぼくの友達や家族は誰も亡くなってないんです。でもたとえば、慰霊碑を見ると、同じ名字の「村上さん」だけでたくさんお亡くなりになっている。ああいうの見ると、……ダメですね。ひとりひとりの名前があるだけで、なにか、深い感じ方ができるんじゃないかと思います。
いまみんなが歩いている神戸で、あの方々がかつて生きておられていて、無念のうちにお亡くなりになったことは事実なので、神戸がこれからどっちの方向に向かうとしても、やっぱりそれがスタート地点になるんじゃないかと思いますね。
(※)「しあわせ運べるように」歌詞
http://www.shiawasehakoberuyouni.jp/lyrics.html
素敵なまちをみんなでつくる
湯川:神戸は、どの方向に向かうんでしょうね?
村上: それは、みんなで考えた方がいいですね。大事なのは、キーマンになりそうなひとたちが本当に一緒に考えて、重点分野を絞り込んで、かかわり続けたいひとたちがかかわり続けられるようなプロセス。みんなで考えればだいじょうぶですよ。施策をつくるプロセスを行政が独占している時代は、もう終わっていいます。
でも本当に、できることは早くしないと、いかんなあと思う。やりたいことが「素敵なまちをみんなでつくること」なので、どういうペースでやっても、一年や二年でできない。だから、早くしないとダメですね。
僕はいつも、「もうすぐ死ぬ」と思ってるんですよ。「僕もうすぐ死ぬのに、なんでこんなペースでやってるのかな」と思うんですよね。
湯川:たくさんのひとの力を「預かって」、全力で走られる村上さんですが、そこには亡くなった方々の声も入っていたのですね。東遊園地、行ったことなかったので、今度行ってみます。
市民のリビングルーム
村上: ぜひ。ぼくは大事な場所だと思います。神戸って中心が見えないまちだけど、そのど真ん中に残されたステージみたいなところなんですよね。あんな大切なところは、絶対にみんなでやらなければいけない場所だと思っています。
東遊園地はこれから変わっていきますよ。いまの茶色い土のグラウンドを芝生化して、誰もが自由に使えるような場にしていこうという動きができつつあります。今年の5月、6月には、プレイベントとして、ファーマーズマーケットとワークショップを併設したようなものをする予定です。
参考にしているのは、ニューヨークのブライアント・パーク。以前は麻薬の売人が集まるゴミ捨て場みたいな公園だったのが、現在は、毎日のようにイベントがあったり、WiFiで仕事をしたり、本を読んだり。市民が所有しているリビングルームのようなところになっている。
東遊園地については、これから少しずつ動きが出てきますので、関心をもって見ていただけたらうれしいし、お手伝いするよという方に出てきていただけたらうれしいなと思っています。
湯川:みんなでつくるのですね。今日は、ありがとうございました!
東遊園地
兵庫県神戸市中央区加納町6-4-1
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-bDhEbP1TmB2/
<蛇足カナ?>
たくさんの組織をしっかりと率いている村上豪英さん。
「頭脳」のひとかなと思っていたら、とても「ハート」のひとでした。
誰よりも熱い。だから、「結果的に」まわりが動く。
まわりを動かそうとして計算したものでは、まったくありませんでした。
「『存在するとは別のしかたで、あなたがたは私に触れ続ける』という言葉は死者に向けて告げられる鎮魂の言葉以外の何であろう」
これは、思想家・内田樹さんの言葉です。
生きている人間の力を預かる。でもその前に、亡くなられた方の、聞こえないはずの声を想像して、背負っている。
村上さんは、たくさんのひとのぶんを、生きています。
その使命感が、大きなお仕事になっているのだと、あらためて知りました。
村上さんの人柄と行動には、とても説得力があります。
そこに惹かれて、たくさんのひとが集まります。
集まったひとを活かすのもまた、村上さんはとてもうまい。
うまい……というより、「素敵」なんですよね。
これからの神戸がつくられていく、その真ん中で、村上さんは、きっと誰よりも熱く、でも誰よりもクールに、ニコニコと微笑んでいることでしょう。
緑の芝が敷き詰められた新しい東遊園地で、大好きな読書でもしながら。
どうぞこれからも、村上さんの動きに、注目していてください!
(文・対談再構成/ 湯川カナ)
<当日のアルバム>