About Kana Yukawa

湯川カナによる、
「湯川カナ」のこと。

長崎で、経済的に裕福とはいえない家庭に、女子として生まれました。
振り返るとそれは、地方・貧困・女性という「いっぱい頑張らないといけない」3条件を与えられたという意味をもつことになりました。

でも私は、我慢をするのが苦手だし、我慢をしている人を見るのもとてもしんどいという、厄介な特性があります。
なので小学校や中学校で「校則を変えるために、生徒会に立候補する」という方法で、髪型や靴下の自由化運動をしてきました。

「女のくせに」と、大人にも同級生にもめちゃくちゃ叩かれました。
ちなみに中学の時には、見たことないくらいもんのすごく最低の内申をつけられていたそうです。 まぁ、私も性格悪かったし、いろいろ問題はあったけどね。

やがて大学で法学部に進み、憲法13条に出会います。
個人に権利があること、自由や幸福を追求していいんだと知って、「よかったんだ。」と心底驚いて安心して、泣いただよ。

そして直前の12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とあるのに気づいて、震えました。
そっか。与えられたけど、それは自分たちで守り続けなければいけないんだ。

あの18歳の日からずっと、私が実現したいのは、「個人が、それぞれ、もっと自由に幸せになる挑戦ができる社会」です。
それは、かつて小学校でひとりっきりだと感じて歯を食いしばって頑張っていた私に、伝えたい言葉、提供したい環境。

その後、学生起業に参加した縁でYahoo! JAPANの立ち上げにかかわったのも、「インターネットで、みんながもっと自由になる、フラットな社会」が実現すると思ったから。

その後、スペインに移住してゼロから自分の暮らしを作ろうとしたのも、「お金じゃない幸せって何だろう?」と自分自身で実験して考えたかったから。
ちなみにここで「貧乏なアジア系移民」となり、かつ現地で出産もした私は、日本で忘れていた「個々人が自分丸出しで生きる」「みんなで支え合って生きる」などを思い出します。

10年後に神戸で、産学官民連携で「これからの生き方」を学び合いながら新しい社会をつくる実験・実践をするNPO法人リベルタ学舎をつくったのも、そこから派生して、女性の仕事づくりからスタートした協働・共創の広報プロダクションなりわいカンパニー株式会社をつくったのも、「個人が、それぞれ、もっと自由に幸せになる」を実際に挑戦できる環境をつくりたかったから。

その途中で兵庫県で広報官として3年間、広報アドバイザーとして2年間つとめたのも、官民の協働を行政からも進められると思ったから。

その証拠に、ほら。
兵庫県広報官時代に作成して、全職員に配布した「広報ガイドライン」の名前、「協働のための広報」になってるでしょ?

広報ガイドライン「協働のための広報

会社経営、執筆講演、大学の非常勤、学会の理事、公務員、ついでにシングルマザー、いろいろやることになっています。
そのときの仕事はなんでもよくて、要は老若男女・産学官民、よってたかって、それぞれがそれぞれの幸せを実現しようとする挑戦を支え合う社会になったらいいなと本気で願って、できることはなんでもやってます。

好きな言葉は「協働」です。
嫌いな言葉は「諦めろ」。

湯川カナ 幼少期の写真

社会起業家湯川カナ

プロフィール

1973年、長崎出身。早稲田大学法学部卒、神戸大学大学院人間発達環境学研究科博士課程(前期)修了。

大学在学中、孫泰蔵氏(現シリアルアントレプレナー)の学生起業に参加した縁で、Yahoo! JAPAN創設メンバーとなる。数億円分のストックオプション権を返上し、言葉もわからないスペインへ。現地で10年間、「ほぼ日刊イトイ新聞」をはじめフリーライターとして活動する。

帰国後、神戸を拠点に、産学官民連携の新しい社会づくりの実験場「NPO法人リベルタ学舎」、複業プラットフォームとしての広報プロダクション「なりわいカンパニー株式会社」を設立。地域での協働実現と主体的社会参加支援に取り組む。

兵庫県初代広報官(後アドバイザー/~2023年3月)。関西ベンチャー学会理事、武庫川女子大学非常勤講師、園田女子学園大学非常勤講師等。

TedxKobe「弱みを軸とした最強のチームづくり」、著書『他力資本主義宣言―“脱・自己責任”と“連帯”でこれからを生きていく』(徳間書店)、訳書『うちの子 どうして食べてくれないの? 授乳から離乳食まで…親子関係のバイブル』他。