「ミッション;神戸」第3回レポート
【ゲスト】 慈憲一さん(摩耶山再生の会)
「まちおこし」という言葉は苦手。
でも誰よりも「灘区」という町を愛し、そこに住むひとに町を好きにならせる、まち遊びの達人。
目の前のものを、めいっぱい楽しむ。
鉄道駅で読書会、
日常に異なる視点を持ち込み、輝きで満たす。
熱烈なファンが多い慈(うつみ)憲一さんに、毎日を楽しむコツを伺います!
「まちづくり」じゃなく、「まちおでき」で
湯川: 神戸マラソンのルートから外れた灘区・東灘区を走る「東神戸マラソン」や、灘小・中・高があるならと作った「灘大学」など、生まれ育った神戸市灘区の魅力を再発見させるような仕掛けをつづける慈(うつみ)さん。でも、「まちづくり」という言葉はお嫌いだそうですね?
慈: うん、大っ嫌い。あと「活性化」とかね。キムコやないねんから。みんなこんなんなるんか、って(手足をバタバタさせる)。
「まちおこし」とか「まちづくり」という言葉を聞くと、「お前は神か」って思うんですよ。だって、街はひとりがつくるものではなくて、いろんなおもろいひとがおって、自然とできてくるものでしょう? 言うたら、「おでき」です。「まちづくり」じゃなくて、「まちおでき」ね。
そんな「おでき」をどんどん増やすのが、まちはおもしろくなると思うんですよね。だから、「まちおこし」「まちづくり」「まちの活性化」っていう言葉は大嫌い。
まずは、まわりも自分自身も笑らかせよう
湯川:今日、会場に来られている同級生の方によると、学生時代から仲間をおもしろがらせることばかりしていたというお話です。おもしろがらせる切り口が「まち」になったのは、何かきっかけが?
慈: やっぱり、震災ですね。灘区で生まれ育って、大学から関東で11年過ごしてたんですが、地元の西灘は激震地区で、実家の寺をふくめてあたりは全壊。それで会社をやめてUターンしました。
数少ない若者やったんで、復興の手伝いをなんでもやらされて。そのひとつが、「まちづくり協議会」でした。最初はええんです、復興のためにみんなで力を合わせてね。それが、そのうちケンカしだすんですよ。「あそこだけ先に」とか……。
EINSHOP岡本:僕も、東日本震災の復興の手伝いにずっと南三陸のある集落に通ってたんですけど、やっぱり2年目くらい、家が建ち始めるあたりから、仲間割れしてくる。
慈: そう。そうなんです。「みんなで頑張ろうぜ、まちつくろうぜ」ってやってたのが、すごく険悪になってきた。なんやねん、「まちづくり」って言いながら、まち、バラバラになってるやん、って。まちが崩れてくるんですよ。物理的にではなくて、今度は関係性が。本当にしんどかったですね。
それで、自分でできることからやろう。まずは、まわりも自分自身も笑らかせようと。1997年、ゲリラ的に「まち歩きツアー」なんかから始めました。それからnaddismという「まちを笑うネタ」を載せたフリーペーパーをつくって、ゲリラ配布したり。
それが好評やったんですよね。震災から3年、まじめにやってきて、みんな疲れていて、笑いが必要とされてたんやと思います。それで98年からnaddistというメールマガジンを始めて、読者さんが1000人を超えて……というかんじです。
日常がイベント
湯川:そしていまや、日本を代表する経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」が取材に来るくらいの人気者に。現在も週に何本もイベントを企画されていますが、失敗した例などもおありですか?
慈: 「これ、おもしろい!」と自分で思って「外した」ということなら、ほぼ全部です(笑)。あのね、これよく勘違いされるんですけど、僕、集客力はないですよ。っていうか、集客のことは考えてないんですよね。
自分を入れてそこにふたりいれば、それでもうイベントやと思ってるので。たとえば普通の飲み会も、わざわざチラシつくってイベントにする(笑) 僕にとっては、日常もイベントです。
いまは東神戸マラソンや六甲縦走キャノンボールランのように、お客さんが数百人、それにものすごい数のボランティアスタッフが参加するようなイベントもあるんですが、そこにかかわる「全員が楽しむ」のが基本。言うたら、それが「成功」ですよね。なので、誰かがしんどい思いをしないように、「次」を考えるのを大事にしてます。
すごいですよ、ボランティアで手伝ってくれるひとの数。ぼくからは何もお願いしてないのに、「これしましょか?」と持ち寄ってくれる。おもしろいことを一緒にできる、自分がありがとうと言われる、それだけで、これだけのことができる。やっぱりこれも、震災後かな。
市民がバスを通すまで
湯川:「日常」や「仲間」など「くらし」を大切にされる慈さんのご活動は、上からの視点で一気と変えていこうというのではなく、目の前のありものを、見方を変えて活かしていこうというものが多いですよね。でもそのなかで、行政まで動かしてしまう。実際にバスも通されましたよね?
慈: 灘区の復興計画案が、再開発ビルとかばかりでおもろくないんで、ぜんぜん関係ない案を出そうぜと、何人かで「灘区サンフランシスコ化計画」を出したんです。
摩耶山頂からロープウェー、そこから接続してケーブルカーが中途半端なところまで来てるでしょう? そのケーブルカーをぐーっと海まで延ばす計画。県立美術館のあるHAT神戸のところまで。そうしたら、海でバーベキューして、そのまま山行ってバーベキューできるって。アホでしょ(笑)
慈: それが、灘区の広報誌に載ったんです。となると、「灘区中期計画」に盛り込まなければならない。名前はちゃんと「灘南北軸の交通の充実」かなんかに変わりまして(笑) その回答のひとつが、ケーブルカーの延伸は現実には難しいので、灘駅まで接続のバスを走らせるというものでした。
こうして実現したのが、日本で唯一アーケードの下をバスが走る「坂バス」です。いやー、いろいろありましたよ。あちこちに「そこをなんとか」って頭を下げて。これだけで本が一冊書けるくらいです。『市民がバスを通すまで』って。
いつも「哀しい」が動機
湯川:バス以前に、もともと摩耶ロープウェーとケーブルカーが営業不振のため廃止されるところだったのも、慈さんが言いだしっぺとなって阻止されています。これも行政や大きな企業を動かしていますよね。やはり、まちを守ろうという強い思いがおありで……。
慈: というか、単に、哀しかったんです。摩耶山なんて、好きどころか、こどもの頃は大嫌い(笑) しんどい思いして登らされて、登ったら辛気くさい寺があるだけ。でも、「いつもそこにあったものがなくなる」というのが、本当に哀しくて。
そういえば、いつも「哀しい」のが動機ですね。完全に自分本位です、関係者の利益とか考えてない、申し訳ないけど(笑)
それで、ロープウェーなくなったら哀しいと思いません? と、ふだんからつきあいのある婦人会や自治会に声をかけて。ぼくは10年ここでやって、「実績があるから無茶はせんやろ」と思ってもらえるような積み上げがあるので、「そうやな」と動いてくれた。
慈: あの、ぼくらの年代って、イベントや何かをするときに既存の地縁組織をないがしろにするひとが多いんですけど、それはたいがいアウトですよね。だからぼくは、別の場所の「まちおこし」を手伝ってくれと言われても、ぜんぶ断ってます。ぼくは「チーム」が灘なので、よそのまちのまちづくりはできないです。
それに震災後は、このまちで育ったことへの感謝を、ちゃんとまちに返していかんといかんなという思いは、やっぱりありますね。
神戸を「住みこなす」
湯川:神戸全体を考えるとき、こんな切り口で見ればもっとおもろいのに、というようなことはありますか?
慈: 神戸は「観光のまち」と言われるけど、実際には住んでなんぼのまちだと思うんですね。でも、神戸のひとは、なかなかまちを住みこなせていない気がします。「わー、神戸のひとって、うまいこと住んでるなー」と思われるまちになれば、もっとひとが来るんちゃうかな。たとえば「午前中に山に登って、午後は海で飲む」なんてできるまち、他にないでしょ?
あと、いま、山がおもしろいですね。まちは「やりつくされた」感があるけど、山はまだまだおもしろい。
摩耶山で毎月第3土曜に、リュックサックマーケットという、山の上のフリマをやってるんです。出店料も事前の出店申し込みもなしの、要は「お洒落な闇市」。みんなあんまり売る気もなくて、モノをひろげたまま寝たり、ゆっくり陽が沈んでいくのを眺めたり。最後は「持って帰るのしんどいから」って物々交換になる(笑)
たとえばこれが、「まち」じゃできない、「山」のおもしろさのひとつですね。一種の理想郷的なところがあると思うんです。それこそ、震災後1年目のような人間の関係、「助け合う」という関係が生まれる瞬間がある。それが、居心地が良いんですよ。
ミッション;「水道筋チンタ」
湯川:そんな「偉大なる灘区民」(笑)慈憲一さんの、ガイドブックに載らないおすすめスポットは?
慈: 水道筋商店街。この「水道筋練習帳」というのはぼくが作ったんです、頼まれてもないのに勝手に(笑)。商店街の案内なのに、「住まい」「子育て」という切り口だったり、飲食店の料理紹介ではなく「この飲食店のひとのつくる家庭料理」を紹介したり。
慈: もともとここには13の商店街があって、仲が悪かったんですよ。80年の歴史ではじめて、この「練習帳」で一帯をまとめて「水道筋」と言った。そこは、ぼくがここでやってきて各町との信頼関係があるから、なんとかね。それで、これをきっかけにみなさんが「うちは水道筋商店街」と言うようになった。うれしいですね。
ちなみに、この「練習帳」の企画編集からカメラマン、記者、モデル、全員が灘区民です。で、こういう企画会議をよくやっているのが、水道筋にある「チンタ」という店。ぼくがいなくても、店長に「うつみさんいませんか?」というとぼくに連絡が入るようになってます(笑) ぜひ行ってみてください。
チンタ
神戸市灘区水道筋2丁目18
078-882-2050
https://www.facebook.com/ShuiDaoJinChintaBenDian
慈: あ、あとね、奥さんが週末に「通い船」という沖縄おでんの店をしているんですが、月曜から木曜までは曜日毎に違う店になるんです。チャレンジショップみたいなかたちでシェアしている。ここから独立したお店も多いですよ。
通い船
市場のはずれのゆんたくサロン
毎週金曜日と土曜日18:30〜24:00
080-5300-6677
http://kayuibuni.ti-da.net/
湯川:とことんおもしろがりながら、まちをつなげるというか、つながるきっかけとなる。今日もたいへんおもしろく、ちょっと泣けて、素敵なお話を、ありがとうございました!
<蛇足カナ?>
慈さんと知り合ったのは、1年前。
とにかく楽しいことをする。周囲を大切にする。大きな力を前に、諦めることも戦うこともせずに、「そこをぼちぼちなんとか」頭を下げてやるべきことをする。
格好良さに、一目惚れ。
それから「ゲリラ兄さん」と呼んで、いろいろ教えてもらっています。
リベルタ学舎で、摩耶山の山登りをはじめたのも、こどもたち(&大人たち)に、「慈憲一という生き方」に触れてもらいたかったのが、じつは最大の動機だったりします。
表面に出てくる言葉が「おもろい/おもんない」だけなので、無責任なひとやとか、好き勝手やってるだけやとか誤解されがちなのですが(あえてそうしているかんじもしますが)、驚くほど自分と周囲の「くらし」を真面目に考えていらっしゃいます。
そのあたり、神戸市企画「震災20年 神戸からのメッセージ」のインタビューで詳しく語られていますので、ぜひどうぞ。
http://greenz.jp/2014/10/31/naddist/
ゲリラ……つまり、あくまで個人の力で立って行動するには、周囲への細かな気配り、そして愛されることが必要です。
自分の欲得だけ考えてふんぞり返っているゲリラは、すぐに裏切られたり、仲間に売られたりするでしょう。
小さな個をしっかり保ちながら、周囲を巻き込んで、大きなうねりをつくる。
慈さんが冗談っぽく提唱してきた「裏山資本主義」(※ベストセラー「里山資本主義」が元ネタ)は、今月、神戸新聞の社説のタイトルにもなりました。
「ご機嫌なゲリラ」慈さんに学ぶこと、まだまだたくさんあります!
(文・対談再構成/ 湯川カナ)
<当日のアルバム>